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将軍家

源実朝 みなもとのさねとも
鎌倉幕府三代将軍。源頼朝と北条政子の子。兄・頼家が政争の末に追放された後将軍となる。
歌人としても知られる。右大臣拝賀の式の際、甥である公暁に暗殺された。
和歌に耽溺した文弱な人物として語られることが多くあったが、
近年の研究では政治にも積極的であった姿勢が再評価されている。

九条頼経 くじょうよりつね
鎌倉幕府四代将軍。藤原摂関家の出身。2歳の時、京から鎌倉へと迎えられる。
長じてからは将軍として力を持つようになり、反執権勢力を構築するが、
北条時頼によって京へと追放される。

竹御所 たけのごしょ
二代将軍・源頼家の子。実朝亡き後に源氏の血筋を残すため、16歳年下の頼経と夫婦となる。
彼の子を身籠るが死産し、彼女自身も亡くなってしまう。
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北条氏

北条泰時 ほうじょうやすとき
二代執権・義時の子。三代執権。承久の乱の際には大将として京方を破り、
六波羅探題として乱後の処理に当たった。
御成敗式目を制定したことでも知られ、道理を重んじる人柄を示すエピソードが多く残っている。

北条時房 ほうじょうときふさ
初代執権・北条時政の子。義時の弟である。将軍である頼家・実朝の蹴鞠や学問の相手を務めた。
承久の乱の際は甥の泰時と共に戦い、六波羅探題として戦後処理にあたる。
義時の死後は、連署として甥を支えた。

北条政村 ほうじょうまさむら
二代執権・義時の子。泰時の異母弟。
父が亡くなった際、母方の伊賀氏は彼を執権として担ぎ上げようとして失脚。
しかし政村は泰時の計らいで処罰を免れた。その後は幕府の重職につき、七代執権となった。

北条実泰 ほうじょうさねやす
二代執権・義時の子。政村の同母弟である。母方の伊賀氏の起こした事件の際は政村同様処罰を免れている。
若くして家督を嫡男である実時に譲り出家している。藤原定家の日記によると自害を図ったとの話がある。

北条経時 ほうじょうつねとき
三代執権・泰時の孫。早世した父に代わり泰時の後継者として育てられ、19歳で四代執権となる。
訴訟制度の改革などを行うが、在任わずか4年で病のため執権職を弟の時頼に譲り出家し、
まもなく亡くなってしまう。

北条実時 ほうじょうさねとき
北条実泰の子。三代執権・泰時によってその素質を見出され、同い年である経時の相談役として配される。
その後も幕府の要職を歴任し、北条家のブレーンとして執権を支えた。
和漢の書籍を書写・収集し金沢文庫を創設した。

北条時頼 ほうじょうときより
三代執権・泰時の孫。経時の同母弟である。兄の補佐に努めていたが、病を得た兄に代わり五代執権となる。
摂家将軍を追放し、有力御家人であった三浦氏を滅ぼした。
諸国を巡り民の暮らしを視察したという伝説でも知られる。
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幕府御家人

三浦泰村 みうらやすむら
北条氏に次いで力を持つ御家人・三浦一族の棟梁。
北条泰時の娘を妻として迎え、北条氏との結びつきを密にし勢力を強めた。
しかし宝治合戦により三浦一族は滅びることとなる。
北条時頼と泰村は最後まで戦いを回避することを望んでいたが、
その願いは叶わなかった。

三浦光村 みうらみつむら
三浦泰村の弟。琵琶の名手でもある。
光村は四代将軍・頼経の幼少の時から近習として仕え、昵懇の間柄であった。
頼経と共に反執権勢力を構築するが、宝治合戦で北条時頼に滅ぼされた。

安達泰盛 あだちやすもり
源頼朝の側近・安達盛長の曾孫。幕府の要職を務め幕政改革にも取り組んだが、霜月騒動で滅ぼされた。
元寇に際して御恩奉行の職についており、『蒙古襲来絵詞』にもその姿が描かれている。
書や蹴鞠にも優れた文化人でもある。
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